存在と時間

ハイデガーとは関係ないのだけど。
生まれてからずいぶん時間が経った。なんだかたくさんのシーンを通り過ぎてきた気がする。当たり前だけれど、そんなシーンの全てはもう失われていて、記憶の中にしか残っていない。
多分今書いている小説と最近読んでいる相対性理論関係の本のせいなのだろうけれど「時間」とか「消失」という言葉が最近頭の中に居座っている。たくさんあった可能性の中で、わりといい感じのところを選んでやってきていると思うのだけど、それでもなくしたものをふと思い出すこともある。別に後悔とか懐かしいとかではなく、ただ何となく、そういうこともあったのだということに少し驚いたりする。あれは本当に僕だったんだなあ、と思う。こんなに地味に生きている僕ですら、そうなんだからもっと波乱万丈な人生を歩んでいる人は、大変なんだろうなと思う。
今のところ僕は大丈夫だけれど、大切なものをそういう時間の中に落としてしまうのは、なんだか計り知れないものがある。自分の時間が止まってしまうような気がする。
でもきっとそういうのもアリなのだろう。という気がする。別にいいじゃん。止まった時間の中に居たって、という気がする。すべての人間が未来にむかって進んでいかなくちゃいけないなんて理由はない。どんな手を使ってでも幸せなるべきなのだとしたら、きっとそういうのもアリだと思う。絶対に無くせないものを無くすのなら、時間を止めてしまえばいい。最近そういうのもいいなと思う。
多分飲みすぎているせいかもしれないけれど。